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大分地方裁判所 昭和54年(ワ)532号 判決

原告

立平八十次

原告

佐藤利治

原告

姫野澄男

右原告ら訴訟代理人弁護士

柴田圭一

(ほか四名)

被告

第一交通株式会社

右代表者代表取締役

黒土始

右訴訟代理人弁護士

井上繁行

(ほか二名)

主文

一  被告は、原告立平八十次に対し金二〇万七七三八円、原告佐藤利治に対し金二三万六四二円、原告姫野澄男に対し金二三万一六七六円をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告立平八十次に対し金二五万二七三八円、原告佐藤利治に対し金二七万五六四二円、原告姫野澄男に対し金二七万六六七六円を各支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告会社は、肩書地(略)に本社を、大分市豊饒、同市高城、東国東郡安岐町にそれぞれ営業所を置いて一般乗用旅客自動車運送事業(いわゆるタクシー業)を営む株式会社で、もと大丸タクシー株式会社と称し、大分市内の松浪新平らが経営していたが、昭和五〇年九月三〇日、当時、北九州市、福岡市、宮崎市、鹿児島市、指宿市などにおいて第一交通株式会社なる名称でタクシー業を経営していた黒土始らが株式を譲り受け経営権を譲渡され、いわゆる第一交通資本の経営するところとなったものである。

原告らは、いずれも被告会社に雇傭されたタクシー運転手で、大分市内のタクシー会社等で働く労働者をもって組織された全自交大分地区自動車交通労働組合(以下、大自交という。)の組合員で、被告会社で働く労働者をもって組織された大自交第一分会(以下、原告ら組合という。)の分会員である。

2(一)  原告らは、昭和五三年三月八日、大分地方裁判所において被告会社との間で裁判上の和解をしたが、被告会社が別紙和解条項第五、第七、第一一項の約定に違反したためこれを誠実に守ることと合わせて被告会社が大自交、原告ら組合による昭和五四年三月二〇日の春闘要求、度重なる口頭での団体交渉の要求、同年四月二七日の文書による団体交渉の要求について回答を示さなかったため、右要求を誠実に検討することを求めて、同年五月三日から、原告らのそれぞれの出勤日に腕章を着用して就労しようとしたところ、被告会社は原告らの就労を拒否し、以後、同年六月一四日までこれを続けた。

(二)(1)  被告会社は原告らに対し毎月二〇日締め切りの二八日払いで賃金を支給しているものであるが、昭和五四年五月二八日払いの賃金については五月三日から同月二〇日までの賃金を、又、六月二八日払いの賃金については、五月二一日から六月一四日までの賃金をそれぞれ原告らが乗務しなかったとして原告らに対し、支給していない。

(2) 右賃金の未払分は、原告らの平均賃金(別紙計算表〈略〉〈1〉欄)から五月、六月分の賃金受給額(同表〈2〉、〈3〉欄)を差し引いたものであるが、六月分の未払賃金については、原告らが乗務するようになってから原告立平八十次(以下、原告立平という。)について三時間、原告佐藤利治(以下、原告佐藤という。)、原告姫野澄男(以下、原告姫野という。)についてそれぞれ七時間、原告らの都合で乗務しなかった時間があり、これ(同表〈4〉欄)を平均賃金から更に差し引くこととすると、原告らの未払賃金は別紙賃金計算表〈5〉欄記載のとおりとなる。

3  被告会社は、昭和五〇年九月三〇日以降、原告ら組合を敵視し、昭和五二年一〇月二九日には大自交の申立により大分県地方労働委員会の不当労働行為救済命令が出されるなど不当労働行為を続けてきたもので、前記被告会社の就労拒否も不当労働行為の一環として行われたもので違法な行為であり、被告会社は右違法な行為によって原告ら各自が被った苦痛を慰藉するために各金一万五〇〇〇円宛を、又、原告ら各自が右金員の支払を求めるため弁護士に依頼せざるを得なかった費用として各金三万円宛をそれぞれ支払う義務がある。

4  よって、原告らは被告会社に対し、賃金未払分として原告立平に対し金二〇万七七三八円、原告佐藤に対し金二三万六四二円、原告姫野に対し金二三万一六七六円の支払を求めるとともに、被告会社の不法行為により乗務させられなかった苦痛に対する慰藉料として原告らに対し各金一万五〇〇〇円の支払と弁護士費用として原告らに対し各金三万円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項の事実は認める。

2(一)  同2項(一)のうち、原告らと被告会社との間で昭和五三年三月八日、原告ら主張の裁判上の和解が成立し、原告らが昭和五四年五月三日から同年六月一四日までそれぞれの出勤日に腕章を着用して就労しようとした事実は認めるが、その余の事実は否認する。

原告らの主張事実についての被告会社の反論は、次のとおりである。

(1) 被告会社と原告らとの本件腕章着用を巡る事実関係について

(イ) 被告会社は、もと大丸タクシー株式会社と称していたが、昭和五〇年九月三〇日、当時の経営者松浪新平らが、積年にわたる激しい労働攻勢によって低運送収入、高賃金に追い込まれ経営不振となり、全従業員を解雇して、その全株式を現在の経営者に譲渡した。新経営者(代表取締役黒土始)らは、譲受と同時に社名を大丸交通株式会社と変更(昭和五一年四月一日から第一交通株式会社と変更)し、「相互に信頼し、協力する。」、「常に社会の信用を確立する。」、「常に生産性の向上を図る。」の三項目を社是として、新しい経営方針のもとに会社の再建に着手し、右解雇に応じなかった大自交加入の三六名に対する解雇を撤回し、その他のもと従業員は新しい労働条件のもとに再雇傭し、不足人員は、逐次補充することとなり、以後、労働条件、賃金等が異なる原告ら組合に所属する組合員と一般従業員が混在し、被告会社を含めた三者間において紛争が続発し、これら一連の問題について、大分県地方労働委員会への不当労働行為救済申立事件、大分地方裁判所への訴訟事件(四件)などが提起されたが、昭和五三年三月八日、同裁判所において裁判上の和解が成立し、被告会社が同労働委員会の命令を不服として中央労働委員会に提出していた再審査申立も取り下げ、これまでの労使紛争に終止符が打たれた。

(ロ) ところで、腕章着用については、原告ら組合に所属する組合員が、労使紛争の激しかった昭和五〇年一〇月頃及び昭和五一年末頃のボーナス要求の際、赤地に白文字で「全自交」と書いた幅一〇センチメートルほどの腕章を着用して就労しようとしたことがあり、被告会社係長飯田国稔が厳重に注意し、昭和五二年二月九日には就業規則に照らし厳重処分する旨の通告書を出し、これに対し、大自交より右腕章着用は正当な争議行為である旨回答が出され、被告会社の右腕章着用は就業規則違反であり、乗客よりも苦情があって被告会社の信用が著しく傷つけられる旨の主張と対立していたが、昭和五一年から昭和五二年までは原告らが自発的に右腕章着用をとりやめたため、処分までには至らず、その後、昭和五三年三月八日の前記裁判上の和解までは、原告ら組合員が時々腕章を着用して就労し、被告会社からその度に注意をしてきたもので、右期日以降昭和五四年五月三日まで、原告らが腕章を着用して就労しようとしたことはなかった。

(ハ) 原告佐藤、原告姫野は、同日午前八時、当日は出勤日でない原告立平、大自交書記長生田徳四郎ら立会のもとに、突如として前記腕章を着用して乗務しようとしたため、被告会社総務部長森脇繁春(以下、森脇という。)は、直ちに現場において、右腕章着用の理由を問い正したところ、団体交渉を拒否され、前記裁判上の和解が実行されないことに対する抗議のために腕章をするとのことであった。しかし、右団体交渉については、大自交より同年四月二七日付で日時を同年五月二日午後一時からとする団体交渉申し入れ書が被告会社に出されたが、同日はたまたま大分地方裁判所昭和五四年(ヨ)第八四号事件(これは、被告会社と同一系列会社である別府の第一交通株式会社と大自交組合員らとの事件である。)の和解期日に指定され、被告会社の代表者や労務担当者が出頭する必要があったため、森脇より大自交に対し変更を申し入れていたもので、原告らも同一組合内のことで当然知悉しているはずであり、いいがかりにすぎず、森脇は腕章を外して就労するよう指示したが、原告らは聞き入れず「腕章は外さない」「(腕章着用のまま)乗せる気があるなら連絡しろ、組合事務所にいるから」と言って職場放棄をして引き揚げた。

(ニ) 更に、被告会社が事態の正常化を図るため、直ちに同月四日に団体交渉をする旨の申込書を大自交宛に出したにもかかわらず、同日午前八時、原告立平が前記腕章を着用してきたので、被告会社運行管理者池田功営業課長(以下、池田という。)が、原告立平に対し、腕章を外して乗務するよう指示したところ、原告立平は「腕章を外してまでは乗らん」、「これから別府へ行くんだ」などと言って職場を放棄し、退出した。

(ホ) 被告会社は、同日、大自交との間で団体交渉を行い、腕章を着用して乗務することの不当性を主張し、腕章を外して乗務するよう説得したが、原告らはこれに応ぜず、結局、右団体交渉は、原告らが被告会社の担当者の資格問題を唐突に持ち出したため内容について進展のないまま終った。その後、被告会社は、同月六日、一二日、大自交に対し、腕章着用の違法性、不当性を詳細に記載するなどして、腕章を外して就労するよう申し入れ、又、同月一〇日、二二日、団体交渉を申し入れたが、同月一〇日申し入れた団体交渉は大自交により拒否された。

(ヘ) その後、原告らは、同年六月一四日まで隔日毎のそれぞれの勤務日の午前八時の点呼には所定の点呼場に出てくるものの被告会社の管理職からの腕章を外して就労せよとの度重なる指示に対し、就労を拒否し、そのまま職場を放棄することを繰り返した。

(ト) なお、原告らは、同月一五日から被告会社の命令を無視して強引に腕章を着用したまま乗務を始め、これに対し、被告会社は就業規則違反として警告書を出し、けん責処分にした。

(2) 腕章を着用した就労の申入れが、債務の本旨に従った労務の提供とはいえないことについて

(イ) 腕章の着用は労働者がその連帯感を昂揚し、士気を鼓舞するために行う組合活動であって、もともと労働組合が自己の負担と利益においてその時間場所を設営して行うべきことに属する。

ところで、これが勤務時間中に腕章を着用する場合においては、労働者は使用者の業務上の指揮命令に服して労務の給付ないし労働をしなければならない状況下において、使用者の負担と利益に便乗して組合活動に従事することとなり、経済的公正の面からみて許されるべきではない。そして、それがたとえ労務の給付ないし労働の成果にさしたる影響を与えないとみられる場合でも、労働組合の組合員間においては、腕章着用によって、労働者の連帯感を喚起し闘争への士気を鼓舞しあう営為を自からにも他にもより効果的に果することとなる。

従って、労働者がその労務の給付ないし労働に服しながら腕章を着用し組合活動に従事することは、誠実に労務に服すべき労働者の義務に違背する不完全な履行にあたるものと解すべく、労働者が右のように勤務時間中に組合活動を展開することを使用者において忍受しなければならない理由はない。

(ロ) 又、仮に右腕章着用が争議手段であると解されたとしても、勤務時間中は使用者の業務上の指揮命令と労働者がこれに従って労務の給付ないし労働に服さなければならないという上下関係が支配するから、右腕章着用はいきおい右の上下関係と同時に争議における対等関係とが重畳的に競合することとなり、労働者にとって服従と闘争の心理上の違和感を醸し出し、これらの反覆は、やがては使用者と労働者との間の命令服従の上下関係を風化させる。そのうえ、使用者は、労働者の右闘争手段に対抗する争議手段を持たず、労使対等の原則からみても労働者を利するのみの手段ということができ、とうてい使用者が忍受すべき合理的理由を欠くものと解すべきである。ことに本件においては、接客を目的とするタクシー業務の場であって、腕章着用それ自体が争議状態で労使双方が互いに緊張していることを端的に誇示し、顧客が求めている快適な乗車とはおよそ無縁であるばかりでなく、徒らに、違和、緊張、警戒の情感をかきたてて、その信望を低下させ、顧客の向背を左右するに至ることは必定である。そして、ひとたびその信用が低下すればこれを回復することは著しく困難であり、そのための損害は測り知れないものがある。右のような業務阻害をタクシー業の使用者において忍受しなければならない理由は存しない。

(3) 被告会社が原告らの就労の申入れを拒否したものではないことについて

被告会社は、原告らの就労の申入れを拒否したことはなく、原告らが職場を放棄し、就労しなかったものである。すなわち、原告らが腕章を着用して乗務する理由のひとつとして挙げた被告会社の団体交渉拒否は前記のとおり理由がなく、むしろ、右腕章着用の真の理由は、原告らが別府の第一交通株式会社の組合を支援する闘争の一環として行われたものであると考えられ、そもそも原告らに就労の意思がなかったことがうかがわれ、加えて被告会社の立場からしてもタクシーを運行させることにより営業利益を得ることを唯一の目的とする会社であるところからして、原告らの就労申入れを拒否することによりこれを自ら放棄する処置を採ることは観念上考えられず、現に、被告会社は、毎日原告らの出勤点呼の際には、原告らを乗務させるべく必ず稼働すべき車両を用意したうえ乗務記録簿の用紙、仕業点検表、エンジンキーを携行して臨み、点呼を実施し原告らに就労命令を発しているものである。

(二)  同2項(二)、(1)の事実及び同項(二)、(2)のうち、原告らが被告会社から受取った五月分の賃金については認めるが、その余は争う。

3  同3項の事実は否認する。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1項の事実は当事者間に争いがない。

二  同2項(一)について判断する。

1  原告らと被告会社との間で昭和五三年三月八日原告ら主張の裁判上の和解が成立し、原告らが昭和五四年五月三日から同年六月一四日までそれぞれの出勤日に腕章を着用して就労しようとしたことは当事者間に争いがなく、(証拠略)を総合すると以下の事実が認められる。

(一)(1)  原告ら組合は、昭和五〇年九月三〇日、被告会社がその経営陣交替と同時に全従業員を解雇したため、当時被告会社に存在していた大丸タクシー新労働組合、大丸タクシー合同労働組合は消滅したものの、解雇撤回を求めて活動し、原告ら組合に所属する三六名が、同年一〇月三日解雇を撤回され、被告会社には、原告ら組合員、右解雇を認めて新たな労働条件のもとに雇傭されたもと従業員、新たに採用された従業員が併存することとなった。

(2)  以後、原告ら組合と被告会社との間で紛争が続き、大自交は、被告会社の不当労働行為、原告ら組合員に対する就労禁止、出勤停止、組合脱退工作、担当車両の差別等を理由に大分県地方労働委員会に不当労働行為救済申立をなし、昭和五二年一〇月二九日、右労働委員会から救済命令が出されたが、被告会社は中央労働委員会に対し再審査の申立を行い、更に、原告ら組合及び組合員は被告会社らに対し、原告ら組合員に対する就労拒否処分、無期限出勤停止処分、賃金未払、被告会社支配人の不法行為等を理由に大分地方裁判所昭和五一年(ワ)第六二号、同昭和五一年(ワ)第三二二号、同昭和五一年(ワ)第三三九号、同昭和五二年(ワ)第五七六号の各事件を提起したが、昭和五三年三月八日、同裁判所において、以上の労使紛争について別紙和解条項記載の和解(なお、当事者については本訴における地位を表示した。)が成立するところとなった。

(3)  しかし、被告会社は、右和解について大自交が新聞の折り込み広告として発行したビラの内容あるいは右和解を対象にした新聞記事について、これを別紙和解条項一五項に違反する行為と捉え、同年四月一日頃から労使紛争が再燃した。原告ら組合は、右和解当時組合員数は七名に減少していたが、被告会社は原告らに対し担当車両の差別(被告会社において年式、購入年度が最も古い車両を原告佐藤、同立平に、三番目に古い車両を原告姫野に割当てた。)、制服支給についての差別、被告会社の互助会、共済会への加入拒否の差別等を行い、別紙和解条項第五ないし第七項を履行せず、更に、被告会社、原告ら組合との間で実質的な団体交渉が開かれなかった結果右和解条項添付の原告ら組合から被告会社に対する団交事項も未解決のまま残り、原告らの賃金についても、原告らが他の従業員と異る賃金体系のもとに稼働していた事情はあるものの、昭和五〇年九月三〇日以降定期昇給がなく、昭和五二年から昭和五三年まで春季賃上げもされず、昭和五一年夏期以降昭和五三年年末まで夏季、冬季各一時金も一切支給されない状態であった。

(4)  大自交は、昭和五四年三月二〇日、被告会社に対し、春闘統一要求に関する申入れ、春闘統一要求書を出し回答を求め、更に、同年四月二七日、被告会社に対し、文書で日時を同年五月二日午後一時、議題を前記昭和五四年三月二〇日付の春闘要求、和解条項等として団体交渉を申し入れたが、被告会社は、すでに、同年五月二日午後三時三〇分から大分地方裁判所において団体交渉担当者が出席予定の原告ら組合と上部組織を一にする別府市の全自交大分近鉄タクシー労働組合所属の組合員との和解が予定されていたためか、右申入れに対する回答を遷延し、右予定期日までに回答しなかった。

その頃、被告会社と同系列のいわゆる第一交通資本が別府市に所在する大分近鉄タクシー株式会社の資本を取得し、同年三月末日頃、社名を第一交通株式会社に変更し、右会社の従業員で組織する全自交大分近鉄タクシー労働組合との間で紛争が生ずるに至り、右会社においても、組合員が腕章を着用して就労することが問題とされていた。

(二)(1)  原告ら組合員は、昭和五〇年九月三〇日以前には、春闘、一時金要求の際腕章(幅一〇センチメートルの赤い布地に白字で大きく全自交と書かれ、小さく大分地区自交労組と書かれた腕章)を着用して就労したことがあり、その後、昭和五一年夏頃から昭和五三年三月八日まで右腕章を着用して就労し、この間、被告会社運行管理者から口頭で腕章を外すよう注意され、更に、昭和五二年二月九日には被告会社から原告ら組合に対し、文書で昭和五一年一二月二六日から昭和五二年二月九日までの就労の際の腕章着用は被告会社の服装規定等就業規則に違反することを理由としてその中止と右命令に従わない場合の懲戒処分の警告がなされ、これに対し、大自交から同月一三日付の文書で、右腕章着用は、昭和五〇年冬季から昭和五一年冬季までの一時金支給を含めた被告会社の不当な差別扱いに対する抗議の意味を持つ正当な争議行為であり、被告会社がこれを改めるならば右腕章着用を中止する旨の回答がなされ、被告会社は懲戒処分はなさなかったものの口頭での注意を続けたが、昭和五三年三月八日、前記和解が成立したため、原告ら組合員は右腕章着用を止めた。

(2)  原告らは、昭和五四年五月二日、原告ら組合の集会を開き(当時、原告ら組合は原告らと麻生照明の四名で、右麻生照明は入院中であった。)、大自交書記長の承認を得たうえ、被告会社が同年四月二七日付の団体交渉の申入れについて何らの回答もなさないこと、前記和解条項の不履行を理由に同月三日から前記腕章を着用して就労することを決めた。

(3)  被告会社では、原告ら以外のタクシー運転者は乗務の際必要な書類、エンジンキー等の管理を殆ど委かされていたが、原告らは、始業の際の点呼場も一般従業員とは別個の場所で、乗務記録簿、仕業点検証、車検証、エンジンキーも点呼のあと運行管理者から手渡されることとなっていた。

(4)  原告佐藤、同姫野が出勤日である同月三日午前八時、点呼場に前記腕章を着用して出頭し就労しようとしたところ、池田がこれを見て森脇に連絡し、森脇が右原告らに腕章着用の理由を問い正した。これに対して、右原告らはその理由として被告会社の前記団体交渉拒否、和解条項不履行を挙げ、前記腕章を着用したまま就労させろと要求したが、森脇、池田はこれに応ぜず一〇分程押問答が続いたのち、同人らが右原告らにタクシー乗務に必要な前記書類、エンジンキー等を渡さず、腕章を着用したままの就労は認めないとの態度を示したため、右原告らは、連絡場所として大自交事務所を告げ、引揚げた。

原告立平は、出勤日である同月四日午前八時、点呼場に前記腕章を着用して出頭し就労しようとしたが、あらかじめ待機していた森脇、池田との間で前日出勤した原告佐藤、同姫野と同様の経過を辿った。

その後、原告らは、同月五日から同年六月一四日まで隔日毎の自己の出勤日に点呼場に前記腕章を着用して出頭し就労しようとしたが、同年五月三日ないし四日と同様の経過を辿った。

(5)(イ)  被告会社は、同月三日、原告らが被告会社の団体交渉拒否、和解条項不履行を理由に腕章を着用して就労する旨通告してきたことを知り、同月四日午前八時四五分頃大自交に対し日時を同日午後五時、議題を原告ら組合の同年四月二七日付申入事項として団体交渉に応ずる旨回答し、同年五月四日午後五時から話し合いの席に就いたが、その冒頭、原告ら組合員から「以前は腕章を着用して乗務してもやかましく言われなかったのに、今回はどうして腕章を着用したら乗せないと言うのか」との発言があり、これに対して、被告会社の親会社である第一通産株式会社タクシー部勤労部長白川音芳(以下、白川という。)が「腕章を着用して乗務すると、乗客から苦情があり、会社に対する印象も傷つけるので、腕章を外して乗務するよう、腕章さえ外ずせば、乗務させないとは言わない」旨の応答がなされた。しかし、大自交から白川の団体交渉の資格問題が持ち出され、被告会社は約一〇分程で、内容に立ち入らないまま話し合いを打ち切った。

(ロ) 被告会社は、同月六日、大自交に対し、腕章着用の不当性として職務専念義務違反、勤務時間中の組合活動の違法性、職場秩序の乱れ、乗客に対し威圧感、不快感を与え、被告会社の社会的信用を失墜させること等を挙げ、腕章を外して乗務するよう注意し、同月一〇日、大自交に対し、被告会社代表取締役黒土始の白川への委任状を添付して、議題を昭和五四年春闘要求、和解条項、日時を同月一一日午後五時として団体交渉を申入れたが、同日、大自交から被告会社が乗務拒否を中止することが先決問題であるとして団体交渉を拒否された。その後被告会社と大自交との間では、同月一三日、大自交から被告会社に対する腕章着用についての反論、同月二二日、被告会社から大自交に対する団体交渉の申入れがそれぞれなされた。

(6)  原告立平は、同年六月一五日午前八時、被告会社が本件についての仮処分申請事件において、被告会社の就労拒否を否定し、反対に、原告らの職場放棄を主張していたため、被告会社運行管理者が腕章を外して就労するよう注意したにもかかわらず、右運行管理者からなかば強引にタクシー乗務に必要な書類、エンジンキー等を引取り、前記腕章を着用したまま就労を始め、原告佐藤、同姫野も、右同様、同月一六日から腕章着用のまま就労を始めた。

(7)  被告会社は同年五月一二日、大自交に対し、腕章を外すことを要件とした就労命令を発し、就労しない場合には職場放棄とみなし就業規則により処分する旨告げ、同年六月一五日には大自交と原告立平に対し、同月一八日には大自交と原告佐藤、同姫野に対し、それぞれ乗務に際し腕章を着用することは、就業規則に違反するため厳重に処罰する旨の警告を発し、同月二〇日原告らを就業規則の乗務員服務規則に違反したとしてけん責処分に付した。しかし、原告らは、その後も前記腕章を着用したままの就労を続けている。

なお、大丸タクシー株式会社時代の就業規則中には腕章着用を直接明示して禁止する条項は存在しないが第一交通株式会社に社名変更したのちの就業規則にはその一三条において会社の指示によらない腕章を着装して業務に従事してはならない旨定められ、これに違反したときは、けん責、訓戒、減給、昇給停止、乗務停止、出勤停止の処分をすることができるとされている。

以上の事実が認められ、右認定に反する(人証略)は措信できない。

2(一)  以上の認定事実をもとに、原告らの本件腕章着用のうえでの就労の申入れが債務の本旨に従った労務の提供といえるか否かにつき判断する。

原告らは、腕章を着用した点を除くと昭和五四年五月三日以降同年六月一四日まで各人の勤務日毎に点呼場に赴き就労の意思をもって現実に就労の申入れをなし、労務の提供を行ったことが認められるが、腕章着用が労務の提供と一体となった場合、その提供が本旨に従ったものであるか否かは、タクシー運転手としての業務のなかで腕章着用の持つ対内的、対外的意味だけに留まらず、被告会社の労働関係、労使関係、職場慣行等諸般の事情を考慮して信義則によってこれを決すべきである。

そこで、まず、労働関係、労使関係、職場慣行等につき考察すると、被告会社は、昭和五三年三月八日の裁判上の和解が成立したあとも些細なことから右和解条項第五ないし第七項の履行を怠り、大自交の昭和五四年四月二七日付団体交渉の申入れに対しても事情はあるにしても大自交に対し何ら連絡しないまま放置していることからすると、同年五月三日頃における被告会社と原告ら組合との関係は主として被告会社の責任において争議状態を呈していたことがうかがわれ、加えて原告ら組合は、その頃、組合員数が四名にまで減少し、他の従業員と異なり昇給、ベースアップ、一時金等賃金について昭和五一年以降協定も成立しない状態を続けていたことからして、原告らがこれに対し、たとえ、別府の全自交大分近鉄タクシー労働組合への支援の目的があったとしても、抗議の目的で前記腕章を着用して就労を申入れたことは、被告会社の前記対応と比較較量すると相応な労務の提供と考えることができ、又、原告らは、昭和五一年夏頃から昭和五三年三月八日まで前記腕章を着用して就労し、これに対して被告会社は文書又は口頭で注意してはいるが就労拒否はもちろん何らの懲戒処分もせず、原告らが昭和五四年六月一五日以降前記腕章を着用して就労したことについてけん責処分に留めたもので、原告らの同年五月三日から同年六月一四日までの前記腕章を着用しての就労申入れのみを捉えて債務の本旨に従った労務の提供ではないとして就労までも拒否することは右従前、事後の取扱いと均衡を逸すると考えられる。

次に、前記腕章着用の持つ対内的、対外的意味であるが、対内的には、確かに原告らが誠実勤務義務を負う勤務時間中に組合活動を行うもので観念的に相容れない面のあることは否定できないが、前記腕章の形状、大きさ、色彩、文言からして実際上タクシー乗務に支障を来たすと解することは難しく、原告らの勤務体制が他の従業員と異なり、点呼も違った場所で行われていることからすると、原告らが被告会社の命令に従わず腕章を着用して就労したからと言ってただちに職場の秩序を乱したとも言えず、又、対外的には、タクシー運転手という接客業の意味を持つ職種であることからすると、組合活動を嫌う一般乗客に対し不快感を抱かせ、ひいては、被告会社に対し悪感情を抱かせるおそれがないとはいえないが、右のような不快感、悪感情は法的にはさして考慮すべきではないと言うことができ、被告会社の営業上の損失についても、右腕章には「全自交」、「大分地区自交労組」なる文言が記載されているのみで直接には被告会社に対する関係において争議中であることを示しているものではなく、被告会社の社会的信用を失墜させて、営業上の損失を与えたとするに至らない。

以上の点を総合して判断すると、原告らの前記腕章を着用しての就労の申入れは、債務の本旨に従った労務の提供と認むべきである。

(二)  そこで、被告会社の就労拒否、受領拒絶について判断する。

前記認定のとおり、原告らがタクシーに乗務するにつき必要な書類、エンジンキー等は被告会社が管理し、原告らはこれを出勤日の点呼の際、被告会社運行管理者から手渡されて始めて担当車両に乗務できるものであり、原告らが債務の本旨に従った就労の申入れを行ったにもかかわらず、被告会社がこれを原告らに渡さなかったものであるから、被告会社が原告らの労務の受領を拒絶したと認められる。

(三)  よって、被告会社は原告ら各自に対し、受領遅滞を理由として原告らが就労できなかった前記期間の得べかりし賃金を支払う義務がある。

三  同2項(二)について判断する。

同項(二)、(1)の事実及び同項(二)、(2)のうち、原告らが被告会社から受取った五月分の賃金については当事者間に争いがなく、右争いのない事実に(証拠略)を総合すると、原告らの月額平均賃金その他の計算方法は相当であり、これによって算出された月額平均賃金(別表賃金計算表〈1〉欄)から原告らの自認する昭和五四年五、六月分の既払賃金及び右六月分中の原告らの都合による不就労時間に対応する賃金をそれぞれ差し引くと、被告会社は、原告ら各自に対し、少くとも同表〈5〉欄記載の金員を原告らの得べかりし賃金として支払うべきである。

四  同3項について判断する。

被告会社が、原告らの前記腕章着用を理由としてその就労を拒否したことは、勤務時間中の腕章着用の許否が使用者の業務遂行上の判断に委ねられた一面もあることからして、前記認定事実によっても右就労拒否がただちに不当労働行為であって違法であるとまで認定することはできず、他に原告らの主張を認めるに足る的確な証拠もないから理由がない。

五  よって、原告らの本訴請求は、右認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 豊永多門)

和解条項

一 被告会社は、原告ら組合員麻生照明に対する昭和五二年五月八日付解雇、塩地源造に対する昭和五一年三月一一日付出勤停止処分、原告立平に対する同年六月二五日付出勤停止自宅待機並びに同月二七日付出勤停止処分を各撤回して麻生照明については原職復帰させることとする。

なお、麻生照明については、昭和五二年五月八日付をもって被告会社を退職し、被告会社は、昭和五三年三月八日付をもって同人を再雇傭した。但し、右退職後再雇傭までの期間は勤続年数に通算されるものとする。

二 被告会社は、第一項記載の各処分撤回後右処分を理由に原告らを不利益に取扱わないこと。又、被告会社は原告らを理由なく他の従業員と差別して取り扱わないこと。

三 麻生照明は、被告会社の指示する国立福岡中央病院(田代豊一医師)で、タクシー乗務勤務が可能であるかどうかについての診断を受けることとし、当事者双方はその結果について誠意をもって協議する。なお、麻生照明が他の医療機関で、同様の診断を受けその結果を右協議資料とすることを妨げない。

四 麻生照明は、第三項の協議期間中被告会社の指示に従うものとし、その間、被告会社は麻生照明に対し月額金九万六〇〇円の割合による補償をし、又診療に要する費用及び旅費を負担する。

五 被告会社は、麻生照明外原告ら七名の組合員に対して昭和五二年年末以降被告会社が従業員に支給している制服上下、シャツ、ネクタイをただちに支給する。

六 被告会社は、同会社が関与している互助会、共済会等で原告ら組合員を差別せず他と同様の取り扱いをする。

七 被告会社は、現在原告ら組合員が担当している車両については、組合員、非組合員の理由で差別せず、本和解以降合理的基準に従って担当車両の割当を行う。

八 被告会社は原告らに対して勤務中の賃金カットは今後行なわない。但し、いちぢるしい怠業行動及び職場離脱等によるものは除くものとする。

九 被告会社は原告ら組合に対し、金四〇〇万円の支払義務があることを認め、これを昭和五三年三月末日金一五〇万円、同年四月末日金一五〇万円、同年五月末日金一〇〇万円に分割して原告ら代理人事務所に持参又は送金して支払う。

一〇 被告会社が前項の分割弁済を一回でも怠ったときは分割弁済の利益を失い残額を直ちに支払う。

一一 当事者双方は添付団体交渉事項記載の事項について誠意をもって団体交渉を行う。

一二 原告ら組合は、大分県地方労働委員会に対する昭和五〇年(不)第七号及び昭和五二年(不)第一号救済申立事件を取下げ、被告会社は中央労働委員会に対する再審査申立を取下げる。

一三 原告らは被告会社らに対するその余の請求を放棄する。

一四 当事者双方は、今後相互信頼の原則にのっとりそれぞれの義務を忠実に履行する。

一五 当事者双方は、本和解条項の趣旨に反するような宣伝、その他一切の行為を行わない。

一六 訴訟費用は各自弁とする。

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